「好き」を共有できることの大きさ
ボクの運営しているフリースクール&フリースペースToRiSu-とりす-での出来事です。 その場所で過ごす中で、〝欲しいもの〟を伝えてくれる子がいました。それは、とある〝本〟なのですが、話を聞いたら全巻自宅に揃っているそうです。 はて? なぜ全巻持っていて、読み尽くした本が欲しいのか。 ダイヤモンドのように硬いアタマでお馴染みの小川が一生懸命に想像し、いくつかの仮説を立てたのです。 ①自宅にあるものが、他の場所にもあることで安心するのではないか。 ②自宅だけではなく、ここでも読みたい。 ③本当に購入してくれるのか(寄り添ってくれるかどうか)を確認するための要求ではないか。 なんだかどれもピンとこない。 と、いうことで再度考えた結果、〝スカッ〟とする仮説に辿り着いたのです。 それは、 〝自分の好きなものをみんなと共有したい〟 さぁ、どうでしょう? 答えはわからないままですが、あながち間違っていない気もします。 だって、私の好きな某製菓会社の霜だたみ、みんなも食べて「まいうー!」って言ってくれたら、幸せな気持ちになりますもんね。 安心する居場所って、優しくしてくれる人に囲まれるだけではダメ。 自分の〝好き〟や〝楽しい〟を共有することが大切なんだと学んだ気がします。 ま、仮説ですけどね。笑 ここでみなさんにも振り返っていただきたい。 自分の大切な人の〝好き〟に興味を持っていますか?知ろうとしていますか? 「忙しい」なんて理由をつけて目を背けていませんか? 〝大切な人〟の〝好き〟をひとつでも共有することができれば、その人の安心する場所、人っていうのは、案外簡単につくれるのかもしれません。