【スタッフ日記】学習発表会の演劇に思うこと
芸術の秋-。小学校や幼稚園などでは、「学習発表会」が行われていましたね。でも、幼稚園から娘の発表会を見てきて、「自分の頃と違うなあ」と疑問に思うことが1つあるのです。それは「演劇に主役が複数いる」ということ。
シンデレラが3人、魔女が2人、水戸黄門が2人などなど。幼稚園や保育所の場合は、「『どうしてうちの子は主役じゃないの』などという声の大きい親からの苦情を極力なくすため」なんていう裏話も聞きつつ、園児なら長いセリフは難しいし、仕方ないかと思いました。でも、小学生、しかも高学年まで「ダブルキャスト」は、どうなのでしょう?
演劇にはストーリーがあり、雌伏の時や不遇な場面もあって、クライマックスが生きてくる。主役や準主役を担う子は、記憶力はもちろん、話の筋をつかめて、登場人物の気持ちの変化がわかる人だと思います。ほかの配役の子より厳しい指導も入る反面、演じきることで達成感を与えることが、自信と成長につながると思うのです。高笑いをしないで終わる黄門様や、分身の術もしない、やられっぱなしの孫悟空をやった子は、大人になったとき、果たして「主役だった」と胸を張っていうことができるでしょうか?
徒競走のことも以前に書きましたが、順位がつくと遅い子がかわいそうだとかけっこ自体をなくせば、足の速い子はどうすれば輝けるのでしょう? 大きな声で感情込めてセリフを言える子がいても、出番の時間がみんなと平等だと、輝く時間は僅かです。「あの子、声が通って上手だな」と思っても、場面転換するとその役は違う子に代わっている。個々への平等という表面上の優しさが、全体で見ると、1つの劇を壊してしまう。結果としてかわいそうなのは、演じた子供たち、ではないでしょうか?
解決すべきは、演劇に対する親の見方と、先生方の意識だと思います。親が自分の子の活躍する場面を見たい気持ちはわかります。でも、たった一言のセリフでも一生懸命演技をする我が子をしっかり見つつ、一歩引いて劇全体を見て、上手な子供には「良かったよ」と褒めてあげるような親(大人)が1人でも多くいてほしい。そして、普段の子供たちの様子を間近で見ている先生だからこそ、堂々とキャスティングし、学年や個々人に見合った厳しい演技指導で、見に行った親たちをうならせ、「文化ホールで見たい」といわれるような発表を見せる、そんな気概を持って指導してほしいと思います。みなさんは、どう考えますか?
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