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「しつける」と言う字は、「躾ける」とも「仕付ける」とも書くことが出来る。

意味も大きくは二つあり、「礼儀作法を教えこむこと」と「きちんと縫えるようにあらかじめ縫い取りをしておくこと」と説明される。
普通、親が我が子を「しつける」という時は、「躾ける」という字が相応しいと考えるだろう。

今回、何度も報道されすっかり有名になってしまった山の中に置き去りにされた小ニの男児も、「しつけ」のために父親にそうされたらしいが…

よく我が子を虐待死させてしまった親が言い訳に使う言葉でもある。
親は子どもを「躾ける」ためならば、何をしてもいいのだろうか?
「躾ける」とは本当に「礼儀作法を教えこむ」なのだろうか?

私が以前、読んだ本の中で「しつける」に相応しいのは、実は「仕付ける」ではないだろうか?と語っていた心理学者がいた。
その方が言うには、「自分が考えるに、本当の意味のしつけるとは、「仕付ける」が相応しく、仕付けはちゃんとまっすぐに縫えるようにあらかじめ目安となる縫い取りをすることで、その「仕付け」はいずれ本縫いした後に外される前提の元、行われるべきものだ。」と…
私は「なるほどな」と感心した。

つまり「仕付ける」は「子ども本人の自律に委ねる」ことを前提に親が子どもに行うことこそが重要だと気づかされたわけである。

ここで言う自律とは「自分の立てた規律に従って自らの行いを規制すること」である。
今回、父親が小2の男児が車や人に向かって石を投げるという行為をしたことを反省し、二度と行わないように「しつけたかった」と言うことだが、だとすれば、熊の出そうな山の中に一人置き去りにすることが、本当にその子の自律を育てる「仕付け」となったのかは、疑問である。

もちろん、親も人の子である。腹が立ち、感情が先走ると思わず手を挙げたくなるし、今回のような行動も全くわからないでもない。
しかし、親が我が子に「仕付け」をする時、ちゃんとその子がまっすぐに本縫い出来るように(一人で自律して生きていけるように)、縫い取りしたかどうかが大事なのだと思う。

「仕付けはいずれ外されるためにある。
それを考えると、親が子どもを「仕付ける」行為がもっと慎重に為されるべきではないかと思う。
まあ、そういう私も我が子を大声で叱りつけたり、手を挙げそうになったこともありますけどね(笑)

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